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世界一危険・難しい山はどこ?10の切り口で見るNo.1の山

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ぽれとり

登山歴10年。海外20か国。東京でサラリーマンとして働きながら、休暇を使って海外の山を歩いてきました。キリマンジャロ、ネパール、パタゴニア、ニュージーランドなど、これまで訪れた海外トレッキング先での経験をベースに、装備選びから現地手配、費用感まで、実用的な情報を発信しています。モットーは「世界を歩く。現役の、今この瞬間に」。仕事を続けながら、それでも世界の山に行きたい人へ。

「世界一難しいな山」と聞かれて、ぱっと答えるのは案外むずかしいものです。死亡率で見るのか、累計の死者数で見るのか、登頂までの困難さで見るのか、登山口にたどり着く大変さで見るのか。指標を変えると、上位に来る山もずいぶん変わってきます。

この記事では、登山に関わるいろんな統計をもとに、10の切り口でそれぞれNo.1とされる山を整理してみました。同じ山がかぶらないように、各切り口で一座ずつ選んでいます。

死亡率が最も高い山|アンナプルナI峰(8,091m)

ネパールにあるアンナプルナI峰は、登頂者に対する死者の割合(死亡率)で、長く8000m峰トップの数字が報告されてきた山です。

2012年時点の集計で約32%、2022年時点でも20%前後。3人挑戦したら1人が亡くなる計算になります。エベレストの累計死亡率が4%前後と言われているのと比べると、その数字の重さがわかります。近年はギネス公式記録ベースで約13.4%まで下がってきているという話もありますが、それでも14座の中で危険度が高い側に入る山です。

主な要因は雪崩と聞きます。南壁・北壁ともに不安定な雪面と懸垂氷河が広がっていて、気温・風・登山者の動きによって大きな雪崩が起きやすい地形のようです。1997年にはエベレストの1996年大量遭難で救助に活躍したアナトリ・ブクレーエフが、2023年にはエベレスト10回登頂のノエル・ハンナがこの山で亡くなっています。

累計死者数が最も多い山|エベレスト(8,849m)

死亡率では上位に入らないエベレストも、累計の死者数となると話が変わります。

1922年の最初の遭難以降、2025年末時点で約339人が亡くなっているとされます。一方で累計登頂数は13,737件、登頂した個人は7,563人。死者の絶対数だけ見ると、他のどの山も及びません。

理由は単純で、挑戦者の数が桁違いに多いからのようです。商業隊の発達、固定ロープの整備、シェルパによる支援、酸素ボンベの普及などにより、エベレストは8000m峰のなかで「行けるようになった」山です。ピーク年には1シーズンで800人以上が登頂しています。1996年の8人遭難、2014年のクンブ・アイスフォール雪崩(16人死亡)、2015年のネパール地震に伴う事故、2023年の17人死亡シーズンなど、悲劇は今も繰り返されているのが現状のようです。

技術的に最も難しい山|K2(8,611m)

世界第2位の高峰、K2。標高ではエベレストに次ぐ位置ですが、登山界では「技術的に最も難しい8000m峰」と語られることが多い山です。

象徴的なのが、標高8,200m付近にある「ボトルネック」と呼ばれる箇所。60度近い氷の急斜面で、頭上には大きな懸垂氷河「グレート・セラック」がせり出しています。崩落すると下にいる登山者には逃げ場がほとんどありません。デスゾーン(8,000m以上)に位置するので、酸素も判断力も落ちた状態でここを通過することになります。

2008年8月1日には、ボトルネック付近でのセラック崩落により固定ロープが切断され、暗闇のなかで下降した11人が亡くなりました。K2では最も死者の多かった単一の事故とされています。冬季登攀は長く未踏のまま残っていましたが、2021年1月にネパール人クライマー10名のチームが達成しました。エベレストの初冬季登攀(1980年)から41年かかったことになります。

「キラー・マウンテン」の異名で知られる山|ナンガ・パルバット(8,126m)

パキスタンのナンガ・パルバットには、「キラー・マウンテン」という呼び名がついています。

由来は登山史にあります。1953年に初登頂が達成されるまでに、31人もの登山者がこの山で亡くなっていました。1934年のドイツ隊では嵐に閉じ込められた登山者とシェルパの計10名が、1937年にはキャンプ4を襲った大雪崩でドイツ人7名とシェルパ9名の計16名が亡くなっています。初登頂前から「キラー」と呼ばれていた、というのが実際のところのようです。

南面にそびえる「ルパール壁」は麓から山頂までの高低差が4,600mあり、世界最大級の単一の山壁とされます。1953年、オーストリアのヘルマン・ブールが単独・無酸素で初登頂を達成しています。8000m峰の単独初登頂はこれが唯一の記録です。

2013年6月にはディアミール側のベースキャンプが武装集団に襲われ、外国人登山者10名と現地ガイド1名が殺害される事件も起きました。自然条件と地政学的なリスクの両方を抱える、稀な山と言えそうです。

サミットデーが最も長い山|カンチェンジュンガ(8,586m)

世界第3位の高峰、カンチェンジュンガ。複数の8000m峰を経験したクライマーが「登頂日の行程が最も長い山」と語ることが多い山です。

ほかの8000m峰のサミットデー(最終キャンプから山頂・帰還まで)が12〜15時間くらいとされるのに対し、カンチェンジュンガではキャンプIV(7,500m前後)を午後9〜10時に出発し、登頂までに11〜13時間、下山に7〜8時間。1日の行程が20〜22時間に及ぶことが珍しくないと聞きます。デスゾーン近くで丸一日活動し続ける形になるわけです。

最終キャンプから山頂までの距離が長く、岩稜の難所が続くのが理由のようです。加えて、ヘリ救助はベースキャンプ周辺が限界とされ、それより上は基本的に自力で下山するしかありません。長時間行動と救助手段の乏しさが組み合わさっているのが特徴的です。死亡率は20%超で、技術や装備が進化してもこの数字が下がりにくい、例外的な8000m峰とされています。

登山口に行くのが大変な山|ヴィンソンマシフ(4,892m)

南極大陸の最高峰、ヴィンソンマシフ。標高こそ富士山より高い程度ですが、「登山口に到着するまでの大変さ」では別格と言われる山です。

ベースキャンプまでの行程はだいたい次のような流れになります。チリ最南端のプンタアレナスまで国際線で移動し、そこから極地仕様の大型輸送機(イリューシン76など)で南極大陸のユニオン氷河基地まで4〜5時間。さらに小型機(ツインオッター)に乗り換えて、ヴィンソンマシフのベースキャンプへ。天候しだいではプンタアレナスで何日も足止めされるのが普通で、現地のロジスティクス会社による定期チャーターに完全に頼ることになります。

費用面でも独特で、商業遠征の標準パッケージで$45,000〜$65,000、最高クラスでは$110,000を超えるケースもあります。エベレストの平均(2026年で約$61,000)を上回ることもある金額です。費用の大半は南極までの輸送と現地施設の維持にかかるとのこと。標高4,892mに対してこの規模感、というのがヴィンソンマシフの特徴と言えそうです。

アルプスで最も累計死者数が多い山|マッターホルン(4,478m)

ヒマラヤや南極から離れて、ヨーロッパへ。アルプスのなかで累計死者数が突出しているのが、スイス・イタリア国境のマッターホルンです。

初登頂が達成された1865年以来、この山では累計500〜600人が亡くなっているとされます。現在も年間6〜12人前後の死者が出ており、ヨーロッパの単一の山としては多い水準のようです。シーズン中は週末に山岳救助隊が12件以上の出動を行うこともあると聞きます。

主な原因は落石と滑落とされています。マッターホルンは四方に切れ落ちた鋭い三角錐の山容で、標準ルート(ヘルンリ稜)でも本格的なアルパインクライミングの技術が必要な山です。シーズン中は登山者が多く、上にいる人が落とした石が下の登山者に当たる事故もあるようです。近年は地球温暖化の影響で永久凍土が緩み、岩盤の安定性が下がっているという話も出ています。

1865年のエドワード・ウィンパー隊による初登頂では、下山中にロープが切れて4名が約1,200m滑落するという、近代登山史を代表する遭難も起きています。

最も恐れられた北壁を持つ山|アイガー(3,967m)

スイスのアイガー北壁は、登山史で「壁」というジャンルを語るときに必ず名前が出てくる存在です。

垂直高度1,800m、傾斜は最大で80度に達するこの北壁は、1930年代から1960年代にかけて「殺人壁」「死の壁」と呼ばれ、ヨーロッパ登山界の大きな挑戦目標になっていました。1938年の初登攀までに、累計6人がこの壁で亡くなっています。

なかでも有名なのが1936年の遭難です。オーストリア・ドイツ混成隊の4名が下降中に雪崩と装備のトラブルにあい、全員が亡くなりました。最後まで生き残ったトニー・クルツは救助隊のすぐ目前で力尽き、「もうだめだ(Ich kann nicht mehr)」という言葉を残して亡くなっています。彼の遭難の様子は、麓のクライネ・シャイデックのホテルから望遠鏡で見えていたとされ、「観客の前で死ぬ山」というアイガーのイメージにつながったと言われます。1938年の初登攀後も、累計64人以上がこの壁で亡くなっているそうです。

世界一高い未踏峰|ガンカル・プンスム(7,570m)

「世界で最も登られていない山」となると、必ず名前が挙がるのがブータンのガンカル・プンスムです。

標高7,570m、ブータンとチベットの国境付近にあり、世界第40位の高峰ながら、いまだ登頂者が出ていません。「登れない」のではなく、「登ってはいけない」というのが正確なところです。

1983年にブータンが登山を解禁した直後、1985〜86年にかけて4回の遠征が行われましたが、いずれも登頂には至らなかったとのこと。その後1994年、ブータン政府は6,000m以上の山への登山を禁止しました。地元の信仰で山が神々の住まう聖域とされていることが理由の一つだそうです。2003年には登山自体が全面的に禁止され、現在もこの方針が続いています。

1998年には日本隊がチベット側からの登頂許可を中国側から得ましたが、ブータン側の抗議を受けて許可が取り消され、結局は隣の峰(リアンカン・カンリ)を登頂するにとどまっています。世界で人類の足跡が最も残されていない高峰、というのが現状です。

初登頂が最も遅かった8000m峰|シシャパンマ(8,027m)

14座の8000m峰のうち、人類が最後に登頂したのがチベット南部のシシャパンマです。

初登頂は1964年5月2日。アンナプルナI峰の初登頂(1950年)から14年遅れの記録になります。技術的に難しいから遅れた、というわけではないようです。標高8,027mと8000m峰中いちばん低く、現在では「比較的登りやすい8000m峰」とされる山です。

遅れた理由は政治にあったとされます。シシャパンマは14座中、全域がチベット(中国)領内にある唯一の山です。当時のチベットは外国人登山者に対して閉ざされていたため、ネパール側からのアプローチが取れませんでした。最終的に登頂したのは、195名規模の中国遠征隊。ヒマラヤ登山史上最大規模の編成だったそうです。許景(Xu Jing)率いる中国・チベット混成チームの10名が、5月2日に山頂に立っています。

なお、シシャパンマには山頂が複数あり、最高点(8,027m)と中央峰(8,008m)を結ぶ稜線は雪庇の上を渡る行程になります。多くのクライマーが中央峰までで引き返してきた経緯があり、「14座完登」を目指す人にとってシシャパンマは最後の関門になりやすい山と聞きます。

まとめ

10の切り口で、それぞれ違う山を見てきました。「世界一危険・難しい山」というひとつの問いに対して、これだけたくさんの答え方があるというのが、高所登山という世界の幅の広さを物語っているように思います。

切り口No.1の山標高
死亡率アンナプルナI峰8,091m
累計死者数エベレスト8,849m
技術難度K28,611m
キラー・マウンテンの異名ナンガ・パルバット8,126m
サミットデーの長さカンチェンジュンガ8,586m
登山口アクセスヴィンソンマシフ4,892m
アルプス最多累計死者マッターホルン4,478m
最も恐れられた北壁アイガー3,967m
世界最高の未踏峰ガンカル・プンスム7,570m
最も遅い初登頂シシャパンマ8,027m

危険の中身は山ごとに違っていて、標高だけ、死亡率だけで測れるものでもないようです。それぞれの山がそれぞれの理由でその指標のトップに立っている、という見方が一番しっくりくるのかもしれません。